「思い残すことはない」と言える人生

前回の記事よりかなりの期間が開いてしまいました。

ずぼらなのもありますが、文章を書くのがはやり苦手で書こうと思っても

なかなか実行ができなかった…。

文章を書く練習として始めたブログなのに本末転倒…。

 

f:id:notetoself_13mk:20171117223503j:plain

 

さて、ブログをさぼっていた間にいろいろな出来事がありました。

その1つが母方の祖母が亡くなったことです。

9月下旬に亡くなったのですが、未だに実感が湧きません。

見舞いに行った時にはもう時間の問題という様子で、その後5日後に息を引き取りました。

悲しんだものの前向きに捉えている自分もおり、成長したのか退化したのか思いがいろいろ出てきたので書き留めておきたい。

 

やはり触れることが出来なかった。

人生で初めて経験した身近な人の死が母親の死でした。

↓詳しくはこちら

自分の母親なのに、亡くなった体に触れることが恐くて仕方なく結局触れず顔もしっかり見ずお別れをしてしまいました。

20年経った今の自分はどうなのだろうと思っていましたが、祖母の場合もやはり触れることだけには恐怖心が湧き、顔を見ただけでお別れをしてしまいました。

知っている人なのに、家族なのに触れることだけは出来ませんでした。お化けがなんだとかそういうものではなく、何故か死んだ者や動物に触れることが恐いのです。

亡くなる5日前まで病院で手を握ったりしていたのに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

訃報を聞いてホッとした自分がいた

決して亡くなって欲しかった訳ではありません。

ただ腹水がたまり息をするのも苦しそうで食べ物も食べられず水だけで過ごし、先が無いと分かっているにも関わらず本人の意思とも関係なくブドウ糖を点滴されて生き延びている様子を見たことと、亡くなった本人も「死にそうで死にきれない」「やっと娘(亡くなった私の母)に会える」「苦しい、しんどい」と話す様子を見ていたので、早く苦しみから解放されてほしかった…というのが正直な思いです。

 

日本ではまだまだ安楽死は認められる様子もありません。

自分の母親もがん治療の末、体は真っ黒になり意識も無くなり管を繋がれて亡くなって行ったのですが、苦しんで自分で息が出来なくなるまで人生を生かす理由はなんだろう?という気持ちがありました。

 

海外のニュースを見ていると20代で末期ガンと分かり、見た目はまだまだ元気そうだけれど安楽死を選んだ…というニュースを見かけます。非難する人もいるでしょうが、私は非難をするつもりはまったくありません。むしろ、間に合わないと分かっていて苦しまなければいけないコースを選ぶのか、やせ細り食事もとれず意識が無くなってしまい苦しむ前に眠りにつくのか、自分の命の終わらせ方を選ぶ権利は自分にあると思います。

 

でも日本は医療後進国。自分の死を選択するにはまだまだ年月がかかるでしょう。

悪く言えば無理矢理「ご長寿大国」を作っているようにしか思えないときもあります。

管に繋がって意識のない人も国が言う”ご長寿”に入っているのでね。

そこまでして自慢げに世界に公表している「平均寿命」を延ばしたいのか、、、それとも国民の本来の「健康寿命」を大切にしようとするのか。

国の私欲のための医療後進国、悲しいです。

 

誰かと人生を添い遂げられたということ

亡くなった祖母は私が結婚するのをとてつもなく楽しみにしていた。

亡くなる直前の見舞い時も「結婚式に出たかった」「お祝い金も用意してあるから結婚したら使ってね」と最後までそればかりだった。このまま独り身でいたら呪われそうな勢いだ。

 

そりゃあ祖母が結婚結婚というのも納得だった。

祖父は誰もが認めるイケメン優男。建築系の仕事をしていた祖父母宅は築50年が経った今もとても立派な家のまま。母親も小さいころから怒られた事なんてないというくらい優男。近所の小学生たちのために虫取りやおもちゃ作りもあれよあれよとしてしまう。私も祖父のような人がいたら迷わず嫁に行くわいと思っているくらいイイ男なのだ。さくらももこ風に言えば「そりゃあアンタ当たり引いたからだよ」の一言である。

 

そんな祖父母はなんだかんだ60年以上一緒にいたわけで。

好きな人と何十年一緒に過ごして歳を取っていけるって良いなー…としみじみしてしまった自分がいました。

最後に言った言葉なんて

『もう何も思い起こすことはない、生き切った』ですよ、

ドラマみたいだけど本当にそう言ったんです。

どちらかが先に逝ってしまうのは年齢的にも仕方がないが悲しい。でも寄り添い遂げた証です。

 

 

 

自分にはそう思える人生がやってくるのだろうか…(-ω-)

どうしてもそのことをAちゃんに伝えたくてまず彼女に伝えた私。

彼女はどう受け止めただろうか。

 

まとめ

誰の死だろうと悲しい気持ちは変わりません、だけど年齢的なこともあり仕方なかったという事実も手伝い、今回前向きに死を受け入れられている自分がいます。

葬儀中も悲しいというより、母親と祖母が20年ぶりに再会し、祭壇を腰掛にしてケタケタ笑いながらコーヒー片手にお茶している姿しか思い受けべることができず、そんな風に2人で過ごしているんじゃないかなーと思っていました。

姿かたちまで想像できたのでホントに今も毎日お茶して母娘トークに花を咲かせているかもしれません(笑)そういう意味で未だに実感が湧きません。家に行ったら玄関で待っててくれそうな勢いです。

 

それはともかく、自分も「後悔はない、やり切った」と言える人生を送りたい、良い人間になりたい、よりよく生きたいと思い直す機会となりました。

人間って本当に不思議な生き物だ。