幼少期に母親を失うということ

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今まで自分の生い立ちについてあえて人に話すことがなかった。

友人に話すタイミングもなかったしその必要もなかった。父親は、まともに人の相談に乗ってくれるタイプではないので半ば諦めていた(悪気無く鬱の人に「何が辛いんだ。がんばれよー」と言ってしまいそうなタイプだから)。誰かに相談したいとは思っていたけど正解がない話なので言われても困るとも思っていた。

 

それをなぜ今更書こうと思ったのかというと、今までの人生の中で、考えていることをまとめる場所が無かったから。書くことで頭を整頓させて前向きに進んで行きたいから。いつまでも闇を抱えていてはいけないと思うからである。

私みたいな人間こそ、専門のカウンセリングに行くべきか。まあいいか。

 

 

■母親について

私の母親は私が6歳くらいの時に血液系のガンで亡くなった。また36歳くらいだったと思う。病院で精密検査を受けた時にはすでに余命3か月と言われていたらしい。(←高校生くらいになってから聞いた)

(これに関しても、検査を受けるまでの期間、結構長い期間家で母親が寝ていた期間があったことをうっすら覚えてて、余命が限られる前に早く病院に行っていれば…とか父親がこれまた「風邪だ、大丈夫大丈夫ー寝てろー」とか言っていたのではないかと疑っており、私の中で未だに深く根に持っている。)

 

■死について

母親が大きな病院で精密検査を受けて結果を聞きに行った際、家族全員で病院に行った。父親と母親は診断結果を聞きに、姉と私は待合室で待っていた。生まれながらのネガティブ思考な姉は”入院するかも”という言葉を聞いただけで「お母さん死ぬのかな」と大号泣していた。私はというと冷静に(当時6歳に成りたて)ただ黙って隣に座っていた覚えがある。その時点で自分の中で3割ほど母親の死を覚悟していた。

 

診察を終えた両親が待合室に戻ってきて、”少しの間”入院するといわれた。

1番泣きたいのは母親本人だったんだろうけど母は強し…黙って大泣きする姉をなだめていた。でもあの時の暗い表情は今でも忘れない。

 

入院生活の間のことはあまり覚えていない。半年あったか無いかくらいの期間だった。

姉と私と母親と交換日記をして、たまの外泊があって一緒の布団で寝たりした。

母親が横で寝ている間、夜起きてちゃんと息をしているか確かめたこともある。

以前よりかなり瘦せたことにも気が付き、ここで私の覚悟は7割を超えた。

 

ある深夜に、ICUから電話が入り父親と姉と病院に駆け付けた。その時点でしばらく母親には会っていなかった(ICUに入っており意識が無くなっていたため私と姉がショックを受けるだろうと私たちにだけそのことを知らされていなかった)。

この時点でもうダメだと子供ながらに分かった。

ICUに通されて今でも鮮明に覚えているのは両目に湿ったガーゼが充てられてベッドに寝かせられた母親の姿だった。度重なる放射線治療で体が黒かった。本人の面影も無く生きているのかもわからなかった。今でも心から謝りたいと気に留めていることは、当時私が感じたことが「怖い」の一言だったことだ。近づくことも触れることも出来なかった。気づいたら母親は亡くなっていた。

葬儀の際も母親に触れることが出来なかった。死んだ者に触れることは今でも恐怖に駆られる。

 

■受けた影響について

母親が亡くなって約20年、幸い私はグレることもなく大学まで卒業し社会人になれている。だけど、母親が早死にしてしまったことで精神的に影響があったかと聞かれれば、イエスです。顔も声もどんな性格だったのかも覚えていないけど、今でもお酒が入ったりすると思い出して泣けてきてしまうのは今でも引きずっているからだと思う。

 

1)甘え不足に育った

死んでしまったのは仕方のないこと。これについては私は一切恨みなど持っていないし生き物である以上仕方のないこと。何より死にたくて死んだわけではないし母親ももっと生きたかったに決まっている。

だけど、最も母親が必要だった年齢の時に甘えられる存在がいなくなったことで、自立心を持たなくてはいけなくなった。父親も彼なりに可愛がってくれたけれどやっぱり母親の愛情とは違う。

甘えたくても心から甘えられる人がいなくなり孤独感に目を背けて過ごしてきた。26になった今でも誰かに心から甘えたくてもその方法が分からないし悲しくなって泣くこともある。母娘で買い物をしている人たちを見ると本当に羨ましくなることもあるし、未だにハグでも良いから母親に甘えたいと思う。

 

2)死の恐怖に駆られた(一時的に)

母が亡くなったあと、父と姉と私の3人になった。父方母方の祖母が交代でヘルプに来てくれていて寂しさは紛れた。でも深夜になると祖母が息をしているか。父親までもが死んだらどうする?ということで頭がいっぱいになったことを覚えている。(経済的にとか養子に出されるとか施設に入れられる方の心配。子供らしくないけど)

 

しばらくしてその心配が無くなったあと、だんだん生活に慣れていき、最悪自分で生計を立てられるだろうと考えられる年頃になった頃には私の死に対する考え方は変わっていった。

薄情かと思われそうだけど「人生あっけない。人間いつ死ぬか分からないもんだ。」という考え方に変わった(生まれつきポジティブ)。母親も姉のネガティブさは心配していたけど私については真っ反対でカラっとしている性格だから今は安心しているのではなかろうか。

 

3)哲学や人生とは、を考えるようになった

とはいえ母の死は”人生”を考えるきっかけを十分に与えたと思う。

母親のあまりにあっけない死を体験し、自分は濃厚な人生を経験していきたいと思うようになった。人生とは、愛とは、甘えとは、家族とは、恋とは…終わりのないことに定義を持ちたくて哲学的な本を読み漁っている。

また、自分の中で100歳まで生きる自分も想像できないし母親の死の経験から人間は何歳でだって死んでしまうんだと分かった。だから体験できることはすべて試してみることも身につけた。新しい環境に飛び込むこと、1人で海外に行って新鮮な体験をすること、いろんな種類の人と関わってみること。味わうべきかどうか考えているうちに自分も死ぬかもしれないならやらねば人生損してる!と考えるようになった。

 

 

■まとめ

やっと思っていたことを書けてスッキリしている。(自己満足感)

世の中には若くして親を亡くした方、子を亡くした方、家族を亡くした方がいっぱいいると思う。感じ方も引きずり方も人それぞれ。ですがこういった同じ境遇に遭った人たちが必ず通るのが、「悲しみを乗り越えること」そして、そのあとに残された自分が亡くした人の分まで「自分自身の人生を生きること」だと思っています。

 

どれだけ悲しんでも亡くなった人は戻ってきません。悲しい気持ちはやっぱり何年たっても無くならないです。ですが、やがて元の生活に戻れる日が来て、自分の人生を取り戻せる日が来ます。

 

今家族を亡くされて悲しんでいる方、家族の死を引きずり続けている方、

どうかその人の死を悲しみ続けるだけにはしないでほしい。

学ぶこともあったはず、その人が生きられなかった分まで自分がより良く生きることが

最大の弔いです。

 

 

今までそういう境遇の人が身近にいなくて話しこともなかったから、いつか同じ境遇の方たちと気持ちをシェアできたらなぁと思ってます。